THE DIALOGUE 0003
伊藤東凌
Zen Monk of Ryosokuin
伊藤東凌 (両足院 副住職)
1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院での坐禅指導を担当。現代アートを中心に領域の壁を超え、伝統と繋ぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。
660年の歴史を受け継ぐ。
1357年の建立から京都・東山の地で660年以上の歴史を持つ建仁寺・両足院。THE DIALOGUE 0003では、ヨガと組み合わせた坐禅体験や、禅の精神をアート・衣食住に展開する「是是」プロジェクト、瞑想アプリ「InTrip」の開発など、現代的なアプローチで禅の思想を世の中に拡める両足院の副住職、伊藤東凌氏に現在の多岐にわたる活動について話を聞いた。
「”副住職”と聞くと普段何をやっているのか分かりづらいかもしれませんが、坐禅・瞑想の指導が私の活動の基礎です。室町時代から続く両足院という場所には地域住民のみなさんをはじめ、海外からも多くの方がいらっしゃいます。禅の文化や寺の雰囲気を感じていただきながら、みなさんに坐禅・瞑想の指導をしています。また、禅の教えを世の中に正しく拡めるということも重要な責務です。”禅や坐禅は小難しくてストイックなもの” という印象を持たれる方も多いのではないでしょうか。たしかに難しい要素があるのも事実ですが、現代生活をおくる上で重要なエッセンスが詰まっている考え方です。世の中にある禅の誤った認識を脱色し、いかに正しい角度からみてもらうか。禅の魅力を再認識してもらえるような活動を続けています。」
伊藤氏の活動の中で特にユニークなのが、アートやヨガなどの他業界とのコラボレーションだ。
「修行から出て、倉の中を整理しながら、両足院で行う展覧会を企画していました。倉の中には先代が当時の作家たちとコラボレーションして製作した作品が多数あり、その作品を活かした企画を構想していました。
京都の文化の中央にある両足院は、芸術・文化と深い関係があります。当時は何かの教科書や資料を読むためには寺に足を運ぶしかありませんでした。現代でいうサロン的な要素も寺が担っており、多様な作家や学者が集う場として機能していました。そうした背景の中で集まった作品をキュレーションする形で、昔から展覧会がよく開催されていたんです。」
しかし、自らが展覧会を構想する中で伊藤氏は自問自答を繰り返したという。
「自分自身がやるべきことは、過去のものを整理して紹介することだけなのか。過去を受け継ぐことだけが自分の代でやるべきことなのか。歴史の重要性と同時に、何か新しいものを生み出す必要性を感じていました。そうした背景から、体が硬く私自身が困っていたこともあり、まずは坐禅にヨガの要素を取り入れてみることにしました。ヨガと坐禅はともに、紀元前から行われているルーツを共にする瞑想の技法であり、体を動かすヨガと姿勢を正して坐った状態を保つ坐禅という2つの瞑想を同時に体験できるようにしたのです。これまで寺が実施してきた企画よりもカジュアルに禅に触れることができる場となり、結果的には広く坐禅を体験いただく企画とすることが出来ました。そこからメディアアーティストや現代芸術家とコラボレーションした展覧会や、身体を伴った体験だけでなくヴァーチャルも連動させた新しい形の展覧会など、時代にあわせた企画を積極的に行っていきました。」
知恵と慈悲。
様々な企画に取り組む上で、受け継がれてきた両足院の歴史と新しい要素のバランスをどのように捉えているのか。両足院のアイデンティティを伊藤氏はこう語る。
「両足院という寺の名前の由来は、”両方が足りている状態”ということなんです。両方とは、智慧(Intelligence)と慈悲(Compassion)の2つを意味します。企画の出発点であり、迷ったときのよりどころとしているのは、寺は人を救済する場所ではなく、自助努力や自立(智慧)をしようとする人の手助けをする場所でありたい、という考え方です。またこの場所で人と人のつながり(慈悲)をつくり出せるような場所でもあり続けたい。そうした両足院のルーツを大切にしながら企画を考えるようにしています。」
日本にしかない時間の流れ。
海外からの来客も多く、自ら足を運び外資系企業でも坐禅の指導を行う伊藤氏。内と外を直接みる中で日本の魅力をどの様に捉えているのだろうか。
「海外の方々に坐禅の指導をさせていただく中で感じるのは、他の国とは異なる”日本の時間の流れ方”を体験したいというモチベーションでお越しくださる方がとても多いということです。特に日本の朝には特有の美しい時間が流れていると思います。鳥の囀りが響き、朝日がゆっくりと昇る、澄んだ清らかさがありますよね。朝の時間に自分たちで家の周りを掃除する文化も日本特有です。海外では、自宅の掃除をハウスキーパーに委託する人が多い。一方で日本人は、家や軒先を自分で掃除しようとする人が多いです。それは掃除という行為に、自分自身を”清める”という意味を感じているからだと思います。角掃きをすることで道が綺麗になるかどうかだけが重要なのではない。掃除をするプロセスを大切にし、その時間で自分自身を整えてから1日を始めようとするこだわりの現れであり、日本人が昔から持っている効率性を超えた美的意識です。」
コレクティブな表現。
もう1つの日本特有の感覚を伊藤氏はこう指摘する。
「細部に手を抜かないのはもちろんのこと、小さなものを集め、全体の流れの中で質を追求する”コレクティブな表現”が日本人は得意だと思います。日本の懐石料理に例えると分かりやすいですが、一汁三菜をベースにしながら、先付・煮物・お造りなどの料理の品数や順序を工夫し、全体の流れを通じて、独創性とクオリティを追求します。芸術や茶の文化においても同様のことがいえ、形式やストーリーの中に美しさを見出す傾向があると思います。私自身、海外に向けて展覧会を企画する際には、大きく派手なアプローチが一瞬頭をよぎることもありますが、より小さく細かな要素を集積させる形で表現をする形に立ち返ることが多いです。」
「坐禅をしていると、自分の枠が外れる瞬間がある。周りの音や風への意識が高まり、自分を後ろ側からみるような視点の広がりを感じ、開かれるような感覚があります。」
100年後の人も美しいと感じるもの。
坐禅を通じて、人にアドバイスをすることが多い伊藤氏自身が向き合う課題について聞いた。
「日々向き合っている課題はたくさんありますが、例えば両足院の老朽化の問題がその1つです。両足院の改築はもう5年以上前から取り組んでいる寺院を挙げた大プロジェクト。これまでの長い歴史を受け継ぎ、人々の信仰心も大切にしながら実現しなければならないならない仕事です。一方で、ただ元に戻すだけではなく、京都という都市や東山という街のランドスケープも活かした現代的な空間にアップデートしていきたい。大切なテーマなだけあり、常に行ったり来たりしながら思考を続けています。寺という場所は100年後に生きる人も訪れる場所。その上で、今見ても、100年後に見ても美しいと感じることができる場所とはどんなところだろう?心に響くものとはなんだろう?ということが常に念頭にあります。極端に派手なものや破壊的なものは今はいいかもしれないが100年後には残らないものも多い。一方、たまたまこれまで残されてきたものが現在まで存在しているのも事実。大切に残されてきたものとそうではないものというのは、そのものの残り方や保管のされ方、雰囲気でわかるものです。これは残すべきものか、変え過ぎないべきところか、ここは大胆に変えた方がいいものか。そういった対話を常に寺としていて、過去と対峙している感覚があります。世の中の囚われを解く寺であるはずなのに、寺に自分自身が囚われてはいけない。そういう想いで取り組んでいる大切なプロジェクトです。」
創りたいのは、朝の文化。
多岐に渡る活動を通じて、伊藤氏は何を実現しようとしているのか。理想の社会について質問を投げかけると意外な返答が返ってきた。
「皆さんの朝の時間がもっと充実したらいいと常々思っています。朝掃除をし、身の回りの不要なものを1つ手放す。そうした選択を日々繰り返すことで、自分の中の選択肢が拡がり、1日の充実感が大きく変わると考えています。常にたくさんの選択肢があることを自覚し、自分で選択していくことで自分に自信のある個人が増えると思います。現代には多くの社会課題がありますが、自身のある個人を増やすことで信頼で繋がる豊かな社会が待っていると信じています。その意味で、まず朝の習慣を大切にする人が増えることを願って活動を続けています。」
「毎日の習慣の継続が自分の実力になる。」